テレビジョン
こんばんは。
今回は、テレビについて。
自分は、今では殆どテレビを見ません。
テレビを見ない生活に、慣れてしまったからです。
中学、高校生の時は、馬鹿みたいにテレビを見ていました。
特にお笑い番組を。お笑い番組の見過ぎで、感情が不安定になるくらい見ていました。
ここで、村上春樹の小説の話になりますが、どの小説の主人公も殆どテレビの無い生活をしています。
僕は単純にも主人公に憧れを抱いていたので、真似をしよう思った訳です。
最初のうちは、テレビを付けない暮らしに慣れるのに、時間がかかりましたが、慣れてくると
テレビのスイッチを入れるのが、億劫になってきました。
タモリさんが、言っていたのは「テレビとは見るものではなく、出るものだ」と言っています。
別に出たいとは思いませんが、テレビ関係(お笑い番組)の関係者になりたいと思った時期はありました。
フジテレビの27時間テレビは、一時期ハマりました。やはり、1番は明石家さんまさんでしたね。1日に何時間もさんまさんを見ていると、だんだん中毒になってきて、鬱々としてきます。そこで、脱さんまを計りました。
今は、テレビを見るよりボーッとしている方が楽しいです。
あと、テレビから離れて思った事は、主体性を持つことができた事です。
今は、テレビよりインターネットを見る人が多そうですが。
大事なのは、情報に振り回されず、楽しく生活する事なのだと思います。
自分の道を踏みしめて…。
長くなってしまいました。
今日はこの辺で。どうもありがとうございました。
O次郎とは
こんばんは。
オバケのQ太郎のキャラクターについて、考えてみます。と言うか、焦点を当ててみます。
僕はオバQ世代ではないですが、子供の頃にファミコンでオバQのゲームをやっていたので、オバQのオバQくらいは知っていました。
ウィキぺディアで調べてみると実に沢山の、謎のキャラクターが登場します。
先ず、Q太郎。
それから、妹であるP子。
その弟である、O次郎…。
O次郎はQ太郎が、一度オバケの国から、人間の世界に戻って来たときに、連れてきた弟だそうです。
ほとんど、バケラッタしか言わないそうで。
「バケラッタ」は僕でも知っていましたが、O次郎と言う名前すら知らず、軽いカルチャーショックでした。
その他にも、Q太郎の父親のX蔵。
母親のおZ。
叔父のY助。祖父のQ助などがいました…。
(ウィキぺディア調べ)
ドラえもんなどに比べて、どことなく、オカルトチックだなと感じました。
まあ、オバケ達の物語こそあれですね。
くだらない投稿ですが、読んでいただきありがとうございました。
左P子、右O次郎です。
たたかいというものは。
こんばんは。
戦いについて、考えてみたいと思います。
戦い…。
戦争は勿論、戦いですが、もっと言ってしまえばスポーツだって歴とした戦いです。
自分の話になりますが、小学校の頃の休み時間に、多くの学生が校庭で、スポーツをして遊んでいました。
僕は、何をしていたかと言うと、遊んでいる玉を避けたりしながら、校庭を当てもなく歩いていました。
スポーツは、勝負事です。
勝つ人がいれば、必ず負ける人が出ます…。
何が言いたいのかと言うと、もう戦いという争いには、なるべく参加したくないのです。
じゃあ参加しなきゃいいじゃないか。
そうですね。
たたかいを終わらせる為に、戦っているのかもしれません。
初めての孤独
こんばんは。
小学校6年生の時、リーダーシップを取ろうという会みたいな行事が子供会であり、僕と隣に住んでいた友達が、行くことになりました。
僕の家族の車で、僕の友達を乗せ、バス停まで向かいましたが、その友人は、車酔いしたらしく、バス停まで着くとお腹が痛くて行けなくなり、自分一人で行く事になってしまいました。
参加していた、子供たちは自分と大体同じ学年の殆どあまり知らない、子供達ばかりでした。
バスに乗り、僕は12年間の人生で初めて、孤独というのを味わった感じでした。
元々、殆ど喋らない性格なので、その小旅行で多分、一言も誰とも口を利かなかったと思います。
山へ行き。一晩、丸太小屋のようなところに泊まり、山を歩いたり、泥んこ遊びなどをしました。が、楽しい記憶は、残念ながらありませんでした。
要するに、コミュニケーション能力もなく、リーダーシップなんてものも毛頭なかったのです。
寂しく、ほろ苦い思い出として、この記憶は消える事は無いです。
初めての孤独が、もしリーダーシップに繋がるのだとしたらいい経験をしたなと思います。
論理人と直感人
こんばんは。
今回は、人を2つのタイプに分けるとしたら、論理的な人と直感的な人のタイプに分かれるという話をします。
何をやるとその違いが顕著に表れるというと、スポーツです。
僕は、よく卓球やテニスをしますが、ほとんど頭で考えながらやっていません。
頭より先に、手が動いているという感覚です。
ギターを弾く人でもいちいち、考えて音を出していないと思います。
しかし、論理的な人は考えて、競技をしています。ここに打ったら、こう返って来るから、そこを攻めるという風に。
論理的な人に、敵わないなと思うのは、将棋などの決定的に頭を使わないと勝てないゲームです。将棋や囲碁は、直感力や運などでは、通用しません。
開き直って、これからも自分の直感力を信じて行こうと思います。
変なまとめになって、すみません。
小沢雑感 part3
こんばんは。
小沢健二の名曲について、考察していこうと思います。
まず、ファーストアルバムからの天使たちのシーンこの曲の歌詞は、正しく、天使たちのシーンの場面が切り取られているような歌詞で散りばめられていると思います。
愛すべき生まれて育っていくサークル、これはもう人生そのものを愛すべきだと言っているのだと考えます。
そして、セカンドアルバムのラブリーは、単なるラブソングではないです。
自分の人生の肯定で、何があってもオッケーよなのです。いつか、辛くて悲しくて真っ暗闇でも、人生の賛美歌のようなものなのだと。
小沢健二の文学性は笑っていいともでタモリさんも言っていたように、生命の最大の肯定であると考えます。
小沢雑感 part2
小沢健二について、第2弾です。
そんな2002年の終わりの頃に、小沢健二との邂逅を果たした僕が何をしたのかと言うと、「オザケンCDを巡る冒険」でした。
アルバムに入っていない、曲が何曲もある事をネットで知り、中古CDショップへ行ったりしていました。
それでも、どうしても見つからない物もあり、ヤフオクで競り落としていました。
そんな風にして、曲を聴きながら、また、うさぎ!という物語や、毎日の環境学も読んだり聴いたりしながら小沢健二の再来を待っている時が、2009年頃まで続きました。
そして、ついに2010年の春に13年ぶりのコンサートツアーをやるとの情報を知り、待ってましたというふうに、大変喜び、小躍りしました。
次回に続きます。